おとともじについて

おとともじについてかんじたことをもじであらわしています。

たがためにほふ

【はなのいろ たがためにほふ 君ならで うつせみの世の とはにしあらねば】

痴秋

 

【修辞】
掛詞:「たが」①誰の②多賀(姓の一)

 

 

今年の春、「魔法を取り戻した」と、ノートの片隅に書いた。それを書いたとき、「どうして、わたしはいま、子どものころのように魔法が使えなくなってしまったのだろう」という哀しみでいっぱいだった。「生きていくために、なんとかしてそれを取り戻したい」、その一心で「取り戻した」と書いた。

わたしは、いま、たしかにそれを「取り戻した」と言える。
わたしがほんとうにほしがっていたものが何であったのかを、わたしは理解することができ、それがほしいと言え、それに向かってためらうことなく、手を伸ばすことができるから。

「ほんとうにほしいもの」。
それは、身体だとか、魂だとか、はっきりと「かたち」として触れられるもの・触れられないもの、すべてをふくめた「わたし」をつくるすべての要素を悦びに震えさせるものだった。
音楽そのものよりも「そのひと」は音楽的だった。

「ほしいもの」から「ほしい」とまなざされたとき、いつもわたしは「ほしくない」と言って、背を向けた。わたしが『「ほしいもの」の「ほしいもの」』の完全なかたちでないことを恐れて。

けれど、いまは、わかる。
『「ほしいもの」のほしがっているもの』は、「そのままのわたし」だということが。
「そのままのわたし」は『「そのままのあなた」をほしがるわたし』だということが。

「生まれてきてほんとうによかった」とはじめて思った。

声を上げて泣いた。

すべての苦しみがここに至るためにあったとするなら、それらを恵みであったとさえ思えた。

 

自分ではないだれかをはじめてほんとうに愛することを知って、はじめて自分をほんとうに愛することができた。

 

ああ、間に合った。

生きて身体を持っているうちに、それを知ることができた。

 

おやすみなさい。

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