おとともじについて

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イアン・ボストリッジ、現代の錬金術師

"Ich liebe dich, mich reizt deine schöne Gestalt,

Und bist du nicht willig, so brauch ich Gewalt."

『わたしはお前が好きだ、その美しい姿がわたしを魅了するのだ。
気が染まぬなら、力づくでも連れて行くよ!』

イギリスのテノール歌手、ボストリッジが此岸と彼岸を自在に行き来するシャーマンであり、クラシック音楽の長い歴史のなかにある既存の表現から新たな息吹を立ち上げる錬金術師でもある、と気づいたのは、前掲のシューベルトの歌曲、『Erlkönig』を聴いたときだった。

ケンブリッジ・オクスフォードの両大学で哲学と歴史学を修め、「知性が服を着て歩く」と形容されるボストリッジらしく曲頭から端正に歌い上げてきたその音の流れが、冒頭に掲げた、

"Ich liebe dich, mich reizt deine schöne Gestalt"のくだりで、甘く歪み、ねじれ、
"Und bist du nicht willig, so brauch ich Gewalt."で、純白に輝く牙を剥く。
音価を無視し、吐き捨てられる”Gewalt”を聴き終えるか終えぬかの間に、開いたままの視界は完全に白一色に染まり、全身の毛穴がすべて開ききり、身体はそこに存在したまま、わたしの心は『狭間の世界』へ連れ去られた。
これはごく個人的な感懐にすぎないのだが、『目を見開き、坐したままで完全に意識を喪う』という経験は、単純に『音楽を聴いて感銘を受ける』という経験とは、明確に質を異にした。

さて、そのボストリッジであるが、物すレパートリーは、「繊細な声を持つ、知的なテノール」らしく、受難曲の福音史家に始まり、バロックオペラのヒーロー、ロマン派作曲家のリート、そして、ヘンツェなどの現代音楽の作曲家から献呈された現代歌曲まで幅広い。

その広いレパートリーのなかにおいて、彼の真骨頂とも言えるディスクが、レイフ・オヴェ・アンスネスの伴奏と二人三脚で創り出した『Winterreise』ではないかと思う。
録音当時、青年期を左目に見やりながら通り過ぎつつあったボストリッジアンスネスの二人の『青年』が紡ぐ『冬の旅』。
これは全二十四曲からなる、シューベルトの連作歌曲であるが、恋に破れた青年が尾羽打ち枯らして郷里をあとにする場面を描いた第一曲『おやすみ』に始まり、冬枯れの景色をあてどなくさすらう青年の心象風景が『絶望』の一色で、墨絵のように、ときに濃く、ときに淡く、表されている。

この『冬の旅』そのものについては機を改めて詳らかにしたいと思うが、この連作歌曲において、ボストリッジは、従来のドイツ語圏の、たとえば、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウなどのような歌手が紡ぎ出す、実際に目の前に思い描くことができ、肌で感じることができるような『重く、暗い冬枯れの景色』ではなく、『零下五百度の、すべてが美しく結晶した絶望』の世界を生み出している。

すべての芸術はフィクションであり、虚と実のあわいの微かな均衡のなかに、それは、成り立つ。
その虚と実の均衡をどう取るのか。
その身体感覚が、ひとつのテクストから個々の表現者独自の世界を、まるで硝子細工のちいさな樹が、瞬時に、無限に枝分かれし、広い空全体に伸びてゆくように、幾百通りにも、幾千通りにも創りだしていくのである。

学術研究の姿勢がその身に染み込んでいるボストリッジらしく、個々の楽曲に対する深い解釈は、テクストの正確な理解を前提とし、矩を決して越えない。
しかし、その制約のなかにありながら極めてオリジナルな表現をなしうるその手法と存在感(アーティストとしてのオーラ)は、すぐれた音楽家・芸術家のなかでも、端正に、しかし清烈な鋭さをもって際立った輝きを放っている。

組み合わせの妙、髪のひとすじよりもずっとずっとちいさなナノの空間を結晶させる秘密は、現代の錬金術師が、生まれ持った感覚と先人たちのすぐれた知識とを触媒する、その瞬間にあるのだろうと思う。

この錬金術師が歳を重ね、どう円熟していくのか、それを追い続けることは、わたしにとって、人生の楽しみの、たしかな一部分を占めている。